四絶



(「文美」)

現在は、書と分業が進んでいる篆刻というジャンル。
昔は、書に合わせて自分で印を彫る書家も少なくなかったという。

これは公募展などの大きな作品の落款にと彫ったもののうちの一つ。
第60回正筆展の作品にも使用しました。

自分の書をトータルで見渡す目を養うためにも、
篆刻というジャンルを分けてしまわず
少しずつでも学んでいきたいと思う。


***



ここのところ、ホームページの篆刻作品
の整理をしてて、ふと思い出したこと。


6月くらいだったか、日経新聞に篆刻家の記事が大きく出ていた。
水野恵さんというおじいちゃまで、
写真を見たら、中国の奥地から連れてきた仙人みたいな人。
記者さん自身もよく勉強したんだなぁと思えるような
とても丁寧にまとめられた記事だったのを覚えている。

惜しむらくは、水野さんの印影が一切載ってなかったこと。
あそこまで「素晴らしい」と思わせる記事なら、
一つくらい印影が見たいのに…。

その中で印象的だったのが「四絶」という言葉。
"詩・書・画・印"の四つを指し、
その記事の中では、
「詩を解し、書に精通し、画が描けて、初めてよい印が彫れる」
というような意味のことが書いてあった。

記事では、それが篆刻が上達するための順番のように
紹介されていたけれども、
実際は、印を彫る人のための言葉に限定されるものではなく、
その四つが互いに相関関係にあって
トータルで「文人」としての素養なのだと思う。

書というものを中心に据えてみても、
詩文に精通し、
画をよくし、
印に秀でることで、
書という表現が一層深みを増す。

四絶というものの大切さは、実感として納得できる。

「四絶」という言葉が当てはまるような芸術家は
呉昌碩以来現れないにしても、
一つの作品にどれだけ深みを持たせることが出来るか、
それを意識して学ぶかどうかで、何か変わってきはしないか。

大作にはもちろんのこと、小品一つでも。
それがちいさな遊印一つであっても。



ふふふ。私もいつか仙人みたいになりたいなぁ。

あ、仙人って男の人なんだっけ。


じゃあ、仙女。


………って。


………なんか怒られそうだな(;-ω-)

Atelierすゞり

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