続々・秋の京都は豪華ランチと重森三玲

  室町時代、東福寺の僧、吉山明兆は、栄達は望まずに、
  ひたすら仏画や肖像画を描き続けた画僧であった。
  ある日、時の将軍足利義持がその画の素晴らしさに感嘆し、
  明兆に褒美を言い渡す。「何なりと申すがよい。」
  そう言う将軍に対し、明兆は迷うことなく答えた。
  「桜の木を切ってくださいますよう-」
  明兆は、人々が満開の桜を愛でながら、
  境内で浮かれる姿を嫌ったのだった。
  それに何よりも、境内には、開山の円爾弁円が
  宋から持ち帰り、植えた楓がある。
  秋、洗玉澗の楓は、桜を"拒否"したそんな明兆の思いを
  称えるかのごとく、今も鮮やかに燃え立つ。
                    (講談社『週間 京都を歩く』より)

紅葉の寺として有名な東福寺にはそんな逸話がある。
残念ながら、私が出掛けたときはまだ紅葉ちょっと手前。
洗玉澗は淡く黄色に染まっていた。



この寺にある方丈の四方に巡らされた庭園は、
重森三玲の代表作とも言える庭。
本当にレベルが高くて、モダンで、美しい。
春に見たときにも、想像以上の美しさにビックリした。



けれど、今回の目的はその奥にある「竜吟庵」の庭。
ここは5月の3日間と11月とに限定公開される庭で、
前回は見ることが叶わなかった。

みんなのんびりしてたせいか、公開時間ぎりぎりに滑り込んだ竜吟庵(笑)

入るとまず現れるのが、「無の庭」と呼ばれる石も苔もない庭。
砂文も、なんの装飾もなく、ただまっすぐ引かれている。
ただ、向側に見える竹垣には神鳴りが形作られている。
この庭は、雑誌等でも見たことがなく、ちょっと驚いた。



そして、その神鳴りの竹垣を抜けると現れるのが一柱の"竜神"。
竜神は必ず神鳴りを伴い、雷雲の中に姿を現す。
ああ、無の庭はストーリー性を持ってここへ続くのだと納得させられる。

写真で見たときにも斬新な作りにドキドキしたけれど、
これは実際に見なくては分からない、迫力がある。
雲間を縫って姿を現す竜神は、
日本庭園によく用いられる見立ての手法などどこかに吹っ飛んでしまうほど、
まさに「竜」そのものなのだ。
写真などではとうてい伝えきれない立体感とスケールを持っている。
ああ、見に来てよかった!と思った瞬間。
うわーん、こんな写真じゃつたわらないのよ(´;ω;`)



巡らされた竹垣はここも神鳴り。




そして、庵の周りをさらに巡ると現れるのが
真っ赤な砂を引いた庭。
東福寺三世・無関普門が横たわり、その左右にそれを護る犬が一対。
そしてそれを取り巻く六匹の狼。
砂の赤が緊張感を増している。



私自身、庭に興味を持ってまだまだ日が浅いけれど、
「この石組は瀧を表します」「亀を表します」「鶴を表します」「あれが蓬莱です」
と言った庭の作り方はよく目にするけど、
ここまで全体がストーリーを持ち、動きを持って作られた庭は初めて目にした気がする。

なんか、重森三玲のパワーに圧倒された感じ。

こんな庭を普段非公開にしてるなんて、
東福寺もいじわるだよなぁ(笑)




最後におまけは「苔」写真。



京都のスギ苔はなんでこんなに綺麗なんだろう(*´I `*)

Atelierすゞり

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