ここだ恋しき

イベントを仕掛けた人間としては
プロデューサーとしての目線から、
全体を見渡して記録すべきなのかもしれないけれど、
どうしてもここは演者としての私個人の思いを留めたものになってしまいます。

私らしい表現、私がしたい表現。

何を伝えるか、どのように伝えるか、どうやって伝えるか。

今回の舞台は今の私の等身大の表現。そして精一杯の表現。

席上揮毫(ライブ書道)という方法は
そうそう日常に見られるものではないにせよ、
決して新しい方法ではありません。

その場で文字を書いていく。
それ自体決して難しいものでもありません。

ただ、それが舞台である以上、文字を書くことだけに終始しては意味がない。

言い方が良くないかもしれないけれど、
「ただ文字を書くだけなら誰でもできる」
ということなんです。

表現というのはそういうものではないと私は思うから。

「何を伝えるか、どのように伝えるか、どうやって伝えるか。」

それが無くては、ただの傲慢な自己満足のパフォーマンスになってしまう。
技術は当然磨かなくてはならないけれど、
表現したいものを表現するための技術であって、
技術そのものが表現なのではないということ。

「恋しき月夜」というテーマの持つ世界観を表現し、
見ている人たちも皆その世界に入り込んでもらうために、全てを組み立てる。
腹を括って覚悟を持って。
覚悟のあるなしは、必ず見る人たちに伝わってしまうから。


今回選んだ揮毫内容は、
日本最古の私撰歌集『万葉集』より、
「月に寄する」「月を詠む」「物に寄せて思いを陳ぶ」というテーマの歌を一首ずつ。

遙か1000年以上前の歌。
けれどそこには決して色褪せることのない
「月」と「恋」というモチーフが描かれています。

遠い昔に思いを馳せ、その鮮やかな恋の思いに触れてもらい、
そして今、同じように月を見上げる。そして、恋しきものを思う。
そのために選ばれた歌。
組み合わせによる時間経過も意識して。
(舞台に来てくださったお客様には歌意も書いたパンフレットをお渡ししましたが。)


 秋の夜の月かも君は雲隠りしましく見ねば幾許(ここだ)恋しき
                        (『万葉集』巻第十「月に寄す」)

 萩の花咲きのをゝりを見よとかも月夜の清き恋まさらくに
                        (『万葉集』巻第十「月を詠む」)

 この山の嶺に近しと我が見つる月の空なる恋もするかも
                        (『万葉集』巻第十一「物に寄せて思いを陳ぶ」)


大好きな箏奏者・井上智恵さんの
表情ある音に乗せての揮毫。
切ない音色は、それもまた「月と恋」。

調和体風の書体から、段々と仮名の要素が強くなるように、一首ずつ変化をさせて。
だんだん切ない思いが増すように。

そしてその一首一首の歌が、月の明かりを孕むように。

なぜ月の光を孕むのか、詳しくは書きますまい。

こればかりは見に来た人たちとの共有の秘密。


そして、最後は大字揮毫「月光」。選んだ字体は古に思いを馳せる古代文字。

智恵さんが奏でる「斜影」という曲に響き合うように選んだ文字。

古く、「光」と「影」とは、同様の意を持つものでした。
今でも「月影」という言葉が暗い像を言うのではなく、その光を言うように。

背中合わせであり、同質のものでもある「光と影」。
その響き合いになりますようにと。


そうそう、一つ知って頂きたいことが。
「幾許(ここだ)」というのは上代の言葉で
"たいそう、こんなにもたくさん"という意。


そう、夜の舞台は、ここだ恋しき。

ここ、「恋しき」での十三夜。
皆様にとってたった一夜の「恋しき月夜」。
どうか恋しく思って頂けますように。




※一枚だけ画像のおまけ。

(これだけじゃ、私がしたかったことの半分も、
 魅惑的な箏の音色も伝わらないけれど。)(^^;)



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