ふむふむも うとうとも
日曜日は「大島能楽堂」(http://www.osimanoh.gr.jp/)へ
お能の定期公演を見に行った。
大島さんとこのご家族、とくにご姉妹にはお茶やら書道やらの関係で
とてもお世話になっていて、同世代の表現者としてもステキだなぁと思っている。
この日の演目は、
能「歌占(うたうら)」
狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」
能「葵上(あおいのうえ)」
お能は、大学生のころ日本文学を専攻していた関係で
よくワカラナイながらもちょいちょい見に行っていた。
大人の楽しみ、みたいな感じがして、結構楽しかったのよ。
そういえば、「葵上」って当時うとうと気持ちよく居眠りした記憶があるなぁ(笑)
六条御息所が世の憂さを語る部分がねー…
すこーんと記憶から抜け落ちてたりして…(´∀`;)
今回の公演はそのリベンジでもあったかな。
普通、お能を見に行っても
内容についてはパンフレットに簡単な説明がある程度。
でも今回見に行った定期公演は
各演目について、丁寧な解説がある。
これはとても分かりやすいので、
初めて能を観るという人には、定期公演がオススメかも。
能も、そして私がやっている書もそうなのだけれど、
日本の伝統文化には、内容を充分に楽しみたければ
見る側もある程度の慣れや知識を必要とするものがある。
よく、能は何言ってるのか分からないとか、書は何書いてるのか分からないとか、
スゴイ場合には「そんな分からないものムダなんじゃないの?」という声を聞く。
いやこれ、冗談じゃなくて。
「自分が分からないもの=ムダ」という発想は、
ちょっと乱暴なんじゃないかなと思う。
うーん、というより、ひどく子どもっぽいかな。
文化というのは、ゲームだろうがお笑いだろうが、
プレイヤー同士、あるいは演者と見る側など、
その空間を構成する者同士に共通した知識が
下敷きに無ければ成り立たない。
チュートリアルだって、全く違う国でネタをやってもウケないだろうし、
その場合、そこには共通する言葉、共通する価値観、共通する知識がないのだから、
ウケなくて当たり前なのだ。
分からないまま見ててもいい。
でも、ある程度の知識を有すれば楽しめる内容が増えるということ。
それは別に特殊なことでも何でもなくて、
いろんなものに共通する楽しみ方だと思う。
解説付きの定期公演というのは、
見る側の知識をある程度補ってくれるので、
楽に見ることが出来るいい機会じゃないかなぁ。
今回、ホントに分かりやすかったよ。
解説に立った方が仰っていた。
「能は見るものの想像力も必要とします。」
能はその動きも、舞台装置も高度に省略・抽象化されている。
だからこそ、そこには見るものがどんなリアルな演出も敵わないような
限りなく優美なものでも恐ろしいものでも壮大なものでも
想像出来る余地があるのだと思う。
その舞台に何が見えるかは、
おそらくその人のバックボーン次第。
能を観たことのない人は、ぜひ一度見に行ってみてほしい。
自分がそこに何を見るのか確かめに。
自分が成長すれば、見えてくるものも変わるかもしれない。
あ、でも少し、気を楽にするために。
敬愛する文豪・井上靖は
「能を観ながら夢うつつを行き来するうたた寝は最高の眠りだ」というような内容を
何かに書いていました。
たとえお能でうとうとしても、
それを最高の眠りだと楽しむくらい
楽に構えていいんじゃないかしら(笑)
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お能の定期公演を見に行った。
大島さんとこのご家族、とくにご姉妹にはお茶やら書道やらの関係で
とてもお世話になっていて、同世代の表現者としてもステキだなぁと思っている。
この日の演目は、
能「歌占(うたうら)」
狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」
能「葵上(あおいのうえ)」
お能は、大学生のころ日本文学を専攻していた関係で
よくワカラナイながらもちょいちょい見に行っていた。
大人の楽しみ、みたいな感じがして、結構楽しかったのよ。
そういえば、「葵上」って当時うとうと気持ちよく居眠りした記憶があるなぁ(笑)
六条御息所が世の憂さを語る部分がねー…
すこーんと記憶から抜け落ちてたりして…(´∀`;)
今回の公演はそのリベンジでもあったかな。
普通、お能を見に行っても
内容についてはパンフレットに簡単な説明がある程度。
でも今回見に行った定期公演は
各演目について、丁寧な解説がある。
これはとても分かりやすいので、
初めて能を観るという人には、定期公演がオススメかも。
能も、そして私がやっている書もそうなのだけれど、
日本の伝統文化には、内容を充分に楽しみたければ
見る側もある程度の慣れや知識を必要とするものがある。
よく、能は何言ってるのか分からないとか、書は何書いてるのか分からないとか、
スゴイ場合には「そんな分からないものムダなんじゃないの?」という声を聞く。
いやこれ、冗談じゃなくて。
「自分が分からないもの=ムダ」という発想は、
ちょっと乱暴なんじゃないかなと思う。
うーん、というより、ひどく子どもっぽいかな。
文化というのは、ゲームだろうがお笑いだろうが、
プレイヤー同士、あるいは演者と見る側など、
その空間を構成する者同士に共通した知識が
下敷きに無ければ成り立たない。
チュートリアルだって、全く違う国でネタをやってもウケないだろうし、
その場合、そこには共通する言葉、共通する価値観、共通する知識がないのだから、
ウケなくて当たり前なのだ。
分からないまま見ててもいい。
でも、ある程度の知識を有すれば楽しめる内容が増えるということ。
それは別に特殊なことでも何でもなくて、
いろんなものに共通する楽しみ方だと思う。
解説付きの定期公演というのは、
見る側の知識をある程度補ってくれるので、
楽に見ることが出来るいい機会じゃないかなぁ。
今回、ホントに分かりやすかったよ。
解説に立った方が仰っていた。
「能は見るものの想像力も必要とします。」
能はその動きも、舞台装置も高度に省略・抽象化されている。
だからこそ、そこには見るものがどんなリアルな演出も敵わないような
限りなく優美なものでも恐ろしいものでも壮大なものでも
想像出来る余地があるのだと思う。
その舞台に何が見えるかは、
おそらくその人のバックボーン次第。
能を観たことのない人は、ぜひ一度見に行ってみてほしい。
自分がそこに何を見るのか確かめに。
自分が成長すれば、見えてくるものも変わるかもしれない。
あ、でも少し、気を楽にするために。
敬愛する文豪・井上靖は
「能を観ながら夢うつつを行き来するうたた寝は最高の眠りだ」というような内容を
何かに書いていました。
たとえお能でうとうとしても、
それを最高の眠りだと楽しむくらい
楽に構えていいんじゃないかしら(笑)
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