直島日記:ナイトプログラム
時々、思い出しては書いてみる直島日記。
前はmixiの中だけ書いたんだっけ??
たしか前回は「南寺」。今回は「ナイトプログラム」。
********************************
「直島ってどんなとこ?」
と聞かれたら、
「大人が十分に楽しめる上質な遊園地みたいな場所かなぁ」
とヘタな返答をしてしまう。
直島にはもちろんアート作品が満載なのだけど、
壮大かつ荘厳なもの、
ポップで刺激的なもの、
ゆるーい雰囲気のもの、
作品として作られてないのに、アートを感じさせるもの。
あまりに広いジャンルのものが島中に散らばっていて、
(うーん、散らばるというより、ちりばめられていて、と言った方が正しいか)
上手く言い表す言葉が見つからない。
ただ、いつも、私に何かを充電してくれる場所。
*
もう、数年前になるだろうか。
その当時何度か会っていた人が、
私が見たい見たいと言っていた
地中美術館のナイトプログラムの予約を取ってくれた。
「ナイトプログラム」というのは、
ジェームス・タレルという光のアーティストが作った作品で、
決まった曜日の、日暮れ前後に、予約を取った人だけが
見ることの出来る光を使ったプログラムアート。
「オープンスカイ」という作品の中で行われる。
昼間のオープンスカイは、本当に清々しい。
美術館の中に、天井の高い四角な部屋が作られていて、
見上げると、真四角に切り取られた空が見える。
ガラスもアクリルも入っておらず、そこはそのままの空。
タレルの作品の特徴なのだけど、
切り取ってあるエッジが本当にすっとしていてキレイ。
そのため、そこに空が貼り付けてあるようにも見え、無限に奥行きがあるようにも見える。
晴れの日には晴れの空が、
曇りの日には曇りの空が、
雨の日には雨の空が、
そのままの姿でそこにあるのに、
そこにすっと作られたフレームから見る空は、なぜか新鮮に見える。
そんな昼間の作品はもちろんステキなのだけど、
ここで繰り広げられる「ナイトプログラム」は、
光のアーティストとしてのタレルが、まさに"本領を発揮した"という感じがする。
*
プログラムは、まだ、外が明るいうちから始まる。
いつもは、ただ真っ白な壁や天井に、
穏やかな光が映る。
光は、その色をゆっくりと変えていく。
青に、緑に、赤に、白に、と。
そして、その光の明るさもゆっくりと変わっていく。
徐々に強く、
徐々に弱く。
その光の中で、真ん中に切り取られた空も、
日が暮れていくのにつれてゆっくりと色を変えていく。
澄んだブルーから、
温かなオレンジへ、
そして、深いコバルトへ。
文章にすると、それらの光の変化を同時進行で表現できないのがもどかしい。
なぜって、内部の光の変化と、空の光の変化は、
それぞれが独立した無関係なものではなく、
お互いがお互いの光に呼応するように変わっていくものだから。
プログラムされた光の「彩度」と「明度」の変化は、
私たちが見る空の色の「彩度」と「明度」にも影響を与える。
内部の光の「色」、つまり「彩度」が変わると、
対比して見える空の色が
一瞬で違う色に変わる。
正しくは、変わって見える。
光の不思議さに、ほうっとため息が出てしまう。
何より一番驚くのは、
内部の光と外の空との「明るさ」、つまり「明度」が揃う瞬間。
ゆっくりと変化する光のプログラムの中で、
何度か、そういう瞬間がある。
その瞬間、切り取られた空と内部の壁との境目が
すうっと消えて見えなくなるのだ。
「今、私はどこにいるんだろう?」
壁と天井と空との境が見えなくなる、その瞬間、
上下の感覚も方向感覚もなくなってしまう。
自分がどこかの空間にふっと浮いてるような錯覚。
どこにいるのか分からなくなってしまう、そんな感じ。
*
このプログラムは曜日や時間、予約の関係で
見るのがムズカシイと言う声もちょこちょこ聞くけれど、
もし、チャンスがあるなら、本当におすすめ。
普段、周りに何気なく存在している「光」が、「空」が、
自分の中にくっきりとキレイなエッジを持って
印象づけられる作品だと思うから。
*
ううーん。
タレルってそういう凄い作品を作る上に、
ちょっとハンサムなおじさんなんだよなー。
なんか卑怯だ(笑)
*
ああ、そういえば、今回直島に行った日は、
ナイトプログラムが見られないはずの日だったんだけど、
お忍びで来てた鈴木京香さんのために、特別上映するとか言ってたっけ。
もちろん他の人は入れないのよ。見たかったなぁ。ガッカリ。
ちぇーっ。
鈴木京香と私と、何が違うって言うんだ。(←違うぞ、カナリ。笑)
前はmixiの中だけ書いたんだっけ??
たしか前回は「南寺」。今回は「ナイトプログラム」。
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「直島ってどんなとこ?」
と聞かれたら、
「大人が十分に楽しめる上質な遊園地みたいな場所かなぁ」
とヘタな返答をしてしまう。
直島にはもちろんアート作品が満載なのだけど、
壮大かつ荘厳なもの、
ポップで刺激的なもの、
ゆるーい雰囲気のもの、
作品として作られてないのに、アートを感じさせるもの。
あまりに広いジャンルのものが島中に散らばっていて、
(うーん、散らばるというより、ちりばめられていて、と言った方が正しいか)
上手く言い表す言葉が見つからない。
ただ、いつも、私に何かを充電してくれる場所。
*
もう、数年前になるだろうか。
その当時何度か会っていた人が、
私が見たい見たいと言っていた
地中美術館のナイトプログラムの予約を取ってくれた。
「ナイトプログラム」というのは、
ジェームス・タレルという光のアーティストが作った作品で、
決まった曜日の、日暮れ前後に、予約を取った人だけが
見ることの出来る光を使ったプログラムアート。
「オープンスカイ」という作品の中で行われる。
昼間のオープンスカイは、本当に清々しい。
美術館の中に、天井の高い四角な部屋が作られていて、
見上げると、真四角に切り取られた空が見える。
ガラスもアクリルも入っておらず、そこはそのままの空。
タレルの作品の特徴なのだけど、
切り取ってあるエッジが本当にすっとしていてキレイ。
そのため、そこに空が貼り付けてあるようにも見え、無限に奥行きがあるようにも見える。
晴れの日には晴れの空が、
曇りの日には曇りの空が、
雨の日には雨の空が、
そのままの姿でそこにあるのに、
そこにすっと作られたフレームから見る空は、なぜか新鮮に見える。
そんな昼間の作品はもちろんステキなのだけど、
ここで繰り広げられる「ナイトプログラム」は、
光のアーティストとしてのタレルが、まさに"本領を発揮した"という感じがする。
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プログラムは、まだ、外が明るいうちから始まる。
いつもは、ただ真っ白な壁や天井に、
穏やかな光が映る。
光は、その色をゆっくりと変えていく。
青に、緑に、赤に、白に、と。
そして、その光の明るさもゆっくりと変わっていく。
徐々に強く、
徐々に弱く。
その光の中で、真ん中に切り取られた空も、
日が暮れていくのにつれてゆっくりと色を変えていく。
澄んだブルーから、
温かなオレンジへ、
そして、深いコバルトへ。
文章にすると、それらの光の変化を同時進行で表現できないのがもどかしい。
なぜって、内部の光の変化と、空の光の変化は、
それぞれが独立した無関係なものではなく、
お互いがお互いの光に呼応するように変わっていくものだから。
プログラムされた光の「彩度」と「明度」の変化は、
私たちが見る空の色の「彩度」と「明度」にも影響を与える。
内部の光の「色」、つまり「彩度」が変わると、
対比して見える空の色が
一瞬で違う色に変わる。
正しくは、変わって見える。
光の不思議さに、ほうっとため息が出てしまう。
何より一番驚くのは、
内部の光と外の空との「明るさ」、つまり「明度」が揃う瞬間。
ゆっくりと変化する光のプログラムの中で、
何度か、そういう瞬間がある。
その瞬間、切り取られた空と内部の壁との境目が
すうっと消えて見えなくなるのだ。
「今、私はどこにいるんだろう?」
壁と天井と空との境が見えなくなる、その瞬間、
上下の感覚も方向感覚もなくなってしまう。
自分がどこかの空間にふっと浮いてるような錯覚。
どこにいるのか分からなくなってしまう、そんな感じ。
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このプログラムは曜日や時間、予約の関係で
見るのがムズカシイと言う声もちょこちょこ聞くけれど、
もし、チャンスがあるなら、本当におすすめ。
普段、周りに何気なく存在している「光」が、「空」が、
自分の中にくっきりとキレイなエッジを持って
印象づけられる作品だと思うから。
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ううーん。
タレルってそういう凄い作品を作る上に、
ちょっとハンサムなおじさんなんだよなー。
なんか卑怯だ(笑)
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ああ、そういえば、今回直島に行った日は、
ナイトプログラムが見られないはずの日だったんだけど、
お忍びで来てた鈴木京香さんのために、特別上映するとか言ってたっけ。
もちろん他の人は入れないのよ。見たかったなぁ。ガッカリ。
ちぇーっ。
鈴木京香と私と、何が違うって言うんだ。(←違うぞ、カナリ。笑)
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